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むがしむがし、大川目の村の荒津前平つうどこさ、八郎太郎っていうばかに元気のいいわらすぁ(子ども)いだじょう。八郎太郎ぁ、毎日毎日野っぱらぁ走り回ったり、山々を駆けめぐって遊んでるわらす(子ども)だったじょう。
ある日、あんまり走り疲れたので喉ぁ乾いて、横になってぇばすぐそばに小さな川ぁあったじょう。
澄んだきれいな水だったので、そっと手を合わせて汲んだじょう。水の中に見えなかったのに、手の上さ一匹の腹の赤い雑魚じゃっこぁいだじょう。八郎太郎ぁびっくりしてもう一度汲み直したど。んでもまた腹の赤い雑魚じゃっこぁ入ってたじょう。何べんやっても同じだったじょう。そうしているうちに段々喉ぁ乾いてくるので思い切って飲んでしまったど。あんまりおいしいんで飲みつづけたら川の中の水ぁ無くなってしまったじょう。
気ぁついで見たら、なんと八尺もある大男になってたじょう。それからつうもの、太郎ぁ水無しでは生きられないほどの水飲みになってしまったじょう。
太郎はまた喉ぁ乾いて来たので、その大きな足で水を探して歩き出したじょう。なにしろ一度に二十間も三十間も歩けるので、ちょっと歩くと水ぁ見つかったど。んでもあまり水ぁ少ながったのでせっせと土を盛って、その小さな川ぁせき止めたじょう。それぁ今のモッコ山つう所だじょう。歩いているうちに、草履ぁ重くなって来てよく見たら草履の裏さ土ぁいっぱいついでだったじょう。太郎は、よいしょっとその土をはらったら小さな丘ぁそごさ出来たど。そごあ今の草履森だじょう。
太郎は自分が一番強いとうぬぼれて力比べの相手っこ探がしに出かけることにしたじょう。そして北さ向って歩いて行ったじょう。腹ぁへって一休みしてお昼を食べたじょう。今ではそこをヒリーバ(昼場)っていうようになったじょう。
青森の方さ行っても、なかなか適当が相手ぁ見つからず歩いていだら、大きな屋敷ぁあったじょう。太郎ぁ入って行って力比べ申し込んだら、そこの主人は「ようし、この熊に知恵比べ、力比べぇして勝ったら相手になってやる。」ったじょう。太郎ぁ腹を立てで熊と争ったじょうあ、なんのただの熊でぁなく神通力を持った熊だったじょう。結局太郎は両方とも負けでしまったど。
主人は、「お前ぁ、おれの相手になるには足りない。この鉄の草鞋をやっからこの草鞋がすり切れる所まで歩きつづけで、切れた所をお前の住む地とせよ。」って一足の鉄の草鞋を渡したじょう。太郎は仕方なく、あっちこっち歩いたじょう。
ある日、秋田の海岸を歩ってだらプッツリと草鞋ぁ切れだじょう。そこで近くの民家に宿をとり、年寄り夫婦がら夕食をもらって食べ終ると、またひどく喉ぁ乾いで来たじょう、太郎ぁ水が欲しくなって、いろりに長い火ばし突っ込んだじょう。するとどんどん水ぁ湧いで来たので、二人を近くの山さにがしたじょう。水ぁどんどん湧きつづけで、今の八郎潟になって、太郎はそごを住む地として主になったじょあ。 (語り・村田 永吉)
●八郎太郎の話
「読みがたり
岩手のむかし話」掲載されているこの昔話を読み、大川目の男おどごわらすが秋田の八郎潟の語源だと知り驚きました。私が昔話をするきっかけになった昔話です。 語り部マイスター 今昔亭光草(下舘佳光)
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